今、巷にはたくさんのテープやステッカーが出回ってひとり歩きしている。そのステッカーたちは世の中の現状を鋭くとらえているものが多いのだ。物質消費文化の21世紀は安価なこれらの絵柄に触れるだけでニンマリできる。無駄だと思っていてもステッカーを貼っている時が私にとって一番楽しいのだからやっている。貼っているとストレスが癒され、やわらかい精神というものがやすらぐのだ。私はそれらのテープやステッカーから、ハッピーなものだけを集めている。たまたま友人から貰ったものや、世界の街を旅しながら出会ったものだ。私はもう長い間「ステッカー・ロッカー」なのだ。例えば旅先のカフェやバス停、地下鉄、街角の信号待ち、、、、。『私は私の道の上』そこらにスマイル・マークのステッカーを貼ることに至上の情熱をかけている。意味はない。もし言うならば。次にそのカフェのテーブルに座った人がニンマリとしてくれたらうれしいということだ。ほかになんの理由がいるだろうか。たぶんこんなくだらないことは誰もやらない。だからこそ、私はこのアートに多くの力を注いで楽しんでいる。確かに無駄かも知れない。でも私にとって他の人の笑顔を想像するということは、人生の喜びの大半をしめている。『アートは後でと』言うけれど。何年、いや何十年か経って、こんなことをしていたヤツもいたんだと、笑ってもらえた嬉しい。このステッカー・アートは私の心の中をポジティブに表現したコンセプチュラルなものなのだ。嫌いなヤツなんて誰もいない。私は誰もやらないことをやって、それに少しでも共感してくれる多くの愛せる友が欲しいだけ。心優しきあまのじゃくのトリック・スターとして、この時代を生きている。一生愛と創造の旅をして、多くのステッカーを貼って、人生を充実させたい。私の心の中にある今までにはないアートなのだ。誰もやらないことだから、私はやり続ける。私の人生の至福のために。なんとなんと楽しい宇宙の中! GO HEAD HAPPINESS AND NO WAR PEACE LOVE EARTH HEALTH

2010年10月24日日曜日

ステッカー・ロッカー

 


私はステッカー・ロッカーである。旅の途上のカフェでテーブルにステッカーを貼っている。何故貼っているかというと、次にその席に座る人がニンマリするのを想像して楽しんでいる。ただそれだけのこと。この無駄な作業は私のコンセプチュルなアートなのだ。御供

うれしい挑戦



人生はうれしい挑戦の中にある。誰もが心に沈黙を持って生きている。神様でない私たちはいろいろなあやまちを繰り返しながら幸せを求めて生きている。御供

サマー・オブ・ラブ


サマー・オブ・ラブがから30年が経ったサンフランシスコで再び愛と平和のためのイベントが開催させた。あのベトナ戦争の頃のメッセージはもうない。ただギャラの高いアーティストが企業の協賛金をもらって演奏しただけだろう?サマー・オブ・ラブを知らない世代の若者や当時を知る者で賑わったという。御供

次なる光を追え



これからの時代のマインドコントロール。光。光の覚醒によっていろいろな知覚のトビラが開くことだろう。時間の先端の光を見つめて行きよう。光を追え、光の中へ。御供

2010年10月23日土曜日

ポパイの時代の中にいた



編集者の赤田さんの書いた「ポパイの時代」という本のカバー。私は青春を100%ポパイの中にいた。今のポパイとは違う初期のポパイだ。雑誌の黄金時代だった。雑誌が嘘の広告のようなものではなかった時代だ。だが、もうポパイは名前だけが一人歩きをしている。私の青春を返してもらいたいくらい今のポパイは嘘の広告よりひどい。もっとまじめに資源を無駄にしないでつくるべきだ。ファションが好きな地方の子供たちを騙して無駄ずかいさせないで欲しい。あれもこれもという幕の内弁当でなく、のり弁だったら美味しいのり弁にして欲しい。赤帽のようなスタイリストにはうんざりだ。もうそろそろわかるべきじゃないかな。御供

カシアス・クレイ戦う男



ただ強い男はたくさんいる。彼は強い意志の上に多くのことと精神的に戦う男の中の男だった。御供

2010年10月22日金曜日

アメリカ1976年



カルフォルニアのバークレイ校に行った時通っていたヘッドショップ付きのレコード屋のステッカーを何故か30年も持っていたから不思議だ。御供

ビートルズ



ポール・マッカトニーが言った言葉で「俺たちに制服はない。俺たちが制服をつくる」は強く記憶に残っている。